讃岐のつづき



しかし試練はそれで終わりではありませんでした。
天ぷらがトッピングできるようなのですが、店内を見回すと、ガラス戸の閉まった棚に天ぷらが各種入っています。
そこにも開けたら必ず閉めろとの張り紙が。
"開けたら" と書かれているということは、開けて取ることが許されている、または許される状況があり得るということです。
人見知りで内気なぼくが、率先して取ってみたりお店の人に聞いたりできようはずがありません。
機転を利かせ、前の人が取るのを見てどのようにするかを確認してから天ぷらをゲットしました。
まごうことなきぼくは日本人です。
席について、前の棚に目をやると、「仲南のおいしい水が入っています。開けないこと」と書かれています。
もし開けてしまったら、、、
恐ろしい想像をかき消すように頭を振り、振り返ると、テレビには「勝手に触らないこと」の張り紙。
ひぃぃっっっ!
緊張感はピークに達します。
気を落ち着けて、うどんを口に運びます。
うまい!この歯ごたえ!こののど越し!
しかもこのダシ!あっさりしていて超好みです。
さすがいい仕事してます。
数々の危険を乗り越えた甲斐がありました。


お腹がいっぱいになったところで、ティータイムです。
掬月亭という数奇屋風書院造の建物にはいりました。
代々高松藩主であった生駒・松平両家がここで音曲や茶会などを楽しんだそうです。
おかしい。
ぼくの知っている讃岐は"そごう"氏が治めていたはずです。(信長の野望
ああ、"そごう"氏、やはり戦国の世を生き抜くことはできなかったのですね。
8割の確立で開始時に一揆や戦争で滅びてしまう"そごう"氏。(信長の野望


国を追われた"そごう"氏はやがて大坂へ流れ、そこで商人たちの活気に触れ、経済活動の活発さを目の当たりにし、
「この国を支えているのは武士ではない。これからは商人の時代が必ずくる。」
そう思い、国を追われた無念を忘れ、持ち出した衣類を商品に古着屋を始めます。
持ち前の人当たりのよさとまじめさが客の信頼を得、ついには現在の心斎橋に自らの呉服屋を開業することに成功します。
現在日本全国でみられる百貨店、「そごう」のそれは第一歩でした。


というようなことを、広大な庭を望むお屋敷の縁側で、お茶とお菓子をいただきながら妄想しました。
それにしても素晴らしい庭、特に縁側でした。
次に生まれ変わるなら大名かな、と思いました。
注)そごうの歴史を他の所で語って恥をかいても責任はいっさい負えません。