よくある過去への振り返りについて



これまでの人生は、およそスポーツというものに関わることなく、もやしの申し子の名を欲しいままにしていた程のThe King of MOYASHIであるぼくですが、最近では会社の先輩などに誘われて、ソフトボールやフットサルなど、スポーツをする機会があり、もやし王の座も危ぶまれているような状態なのです。


というようなわけで、先週末の日曜は、フットサルの大会に参加しました。
その中で、会社の先輩の息子さんが参加していたのですが、ぼくと同年齢のおっさんチームの中で、彼は最もよく動きまわり、勝負に執着し、誰よりも熱いプレーを見せたのでした。


そんな彼を見るに付け、自分の若い頃というものが思い起こされるのでした。
経験や知識を積んで、人生を歩む歩調にも余裕が生まれ出しはしましたが、何にでも熱くなる滾る情熱や、大人にはわからない真実を自分だけが理解しているかのような、根拠のない溢れる自信はなくなってきています。


果たして自分はあの頃よりも成長しているのでしょうか。
生きる知恵を身につけて上手く人生を渡っていっているように見えて、その実、自分の都合のよいように言い訳る術を身につけただけなんじゃないか。
などと考えてしまいます。


東野圭吾という人の、「変身」という小説を読みました。
今気づいたのですが、この本を原作とした映画が先週末から公開されているらしいです。
なんともタイムリー。


不慮の事故によって、脳移植を受けた主人公。
手術は成功し、順調に回復していたかに見えたが、少しずつ彼の心に変化が表れ始めます。


"自己崩壊への恐怖と悲しみ" というテーマはありきたりで、ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」という名作がありますが、そこは東野圭吾という人の腕で、このテーマをサスペンスの傑作に仕上げています。


「生きるということは足跡を残すってことだ。後ろにある足跡を見て、たしかに自分がつけたものだとわかるのが、生きているということなんだ。」


作中の主人公のセリフです。
なるほど。
確かに今の自分は過去の自分の経験一つ一つの上にしか成り立ちません。
だからぼくは、過去に戻ってやり直したいだとか、過去の自分に何か言ってやりたいだとか思いません。


ただ、二日酔いの日には、前の日の自分に
「もうその辺でやめとけ。」と言ってやりたいと思うのです。
もう、本当にアホか、と。