納得



学生時代の友人に久しぶりに会ったときに、全然変わってなくて、相変わらずアホやなぁ、と笑ってしまうことはよくあります。
また反対に、こいつこんなヤツやったっけ?という程変わってしまうヤツもいます。


ぼくなども、自分では学生時代からなんら変わっていないような気でいますが、実際のところ、仕事というものが現在の人格の一部分を形成していることは確かです。
しかし、社会不適合傾向の強い、一生モラトリアムを高らかに宣言するぼくですので、なるべくそのような変化による適合の少なくても良い職業に就ければ、とは思っていました。


会社にとっては、社員の人生における仕事の重要度が高いほど、良い社員ということになるのでしょう。
それ故、会社はモチベーションと称して訳のわからぬ強迫観念を生み出し、社員の人生における仕事の占める割合を上げようとします。


それに乗って、充実した人生を送る人たちがいるなら、それは良い人生でしょう。
そんな充実した人生を送っていれば、相変わらずのぼくなどを見るとバカに見えるのも仕方のないことでしょう。
しかし、
「お前らまだそんなバカやって、将来だいじょうぶか?そろそろ大人になれよ。」
みたいな態度をされると矢張り、大変悲しくなります。


きみは大人になれたんやね。
でもそんな生ゴミを漁る汚らしい野良犬を見るような目で見なくても。
一緒になってバカやってたやん。
アホ犬やったやん。


ぼくのような人間が、社会からはクソ扱いされることは理解していますし、それも覚悟の上でこの歳にもなってアホ犬なわけです。
しかし、分かってはいても、どうにも遣り切れない心持ちになってしまいます。
こんなことを考えるのは、まだまだ青臭いガキである証拠なのでしょうね。


もう、モチベーションとか言うても、「モチ」を「マスター」に換えるだけでホラ!


・・・ああ、なるほど。
クソやね。
うん、クソやわ。