でも読んでもた
先日久々に本屋にて漫画を購入いたしました。
バガボンド30巻と蒼天航路15巻の二冊をレジに持っていき、レジのお姉さんに渡しましたところ、お姉さんが、
「カバーお付けしましょうか?」
とお決まりのことを訊ねてまいりましたので、
「いえ、要らないです。」
と答えましたところ、レジのお姉さんは、おもむろにぼくの購入しましたバガボンド30巻と蒼天航路15巻にカバーをかけ始めたのでした。
聞こえなかったのだろうか?
それとも聞き間違えた?
「要らないです」を?なんて?
まさかとりあえず聞いてみただけとか?
などと考えておるうちに、彼女は既にぼくのバガボンド30巻にカバーをかけ終えており、今、いやカバー要らんで、などと指摘したところで、「蒼天航路15巻にカバーをかける手間と時間」と、「蒼天航路15巻にカバーをかける手を止め、バガボンド30巻にかけ終えてしまったカバーを再びはずす手間と時間」はほぼ同じぐらいになっており、ぼくは指摘するのを諦めたのでした。
果たして家に帰って読んでみて気づいたのですが、バガボンド29巻も蒼天航路14巻も買い忘れてる。
今年もこの日に体の調子が悪い
30歳というのは、人生におけるターニングポイントとして多くの人に意識されております。
おっさんとの境目なのではないか、はたまた人によっては夢を諦める、もしくは新たな夢へと転換する境目、妖精さんへのジョブチェンジの年、という人もいるでしょう。
日ごろ自分の誕生日というものには興味がないね、などとシニカルに気取って見せておった私ですが、その実内心では自分の誕生日ぐらいは自分で覚えており、人に言われる前に気づいて意識しておったものです。
それが、30を超えてどうでしょう。
人に言われるまで自分の誕生日を忘れておったではありませんか。
こうして人の年を取る速度は足を速め、人生はクライマックスへと向かってゆくわけですね。
単に記憶力がなくなっただけ。
チャリ大破
12/25、聖なる日の夜のことです。
自転車でチャリチャリ帰っておりましたのです。
帰り道には山を超えるところがあり、車どおりの多い危険な道を避けて裏道を通ると、街灯がまったくないため、明かりと言えば、星明かりと自転車のライトだけなのでした。
ものすごい下り坂なので、自然スピードがでるのですが、カーブを示すものは、自転車のライトが浮かび上がらせる微かな路側帯の白のみ。
道の脇は、溝があって、一段下がって畑になっております。
いつも危険やなぁ、と思いながら走るのですが、気がついたらすでに宙を舞っておりました。
時間が止まったみたいに感じ、あー、ヤバいなぁ、と思いながらもどうすることもできず、そのまま下の畑にたたきつけられました。
大の字に畑に転がりながら見上げた空の星は、ものすごく綺麗で、背中を打ったので起き上がれなかったらイヤやなぁ、などと思いながら、星の美しさにしばらく魅入っていたのでした。