となり町戦争 / 三崎亜記

となり町戦争

となり町戦争



ある日届いた「となり町」との戦争の知らせ。
僕は町役場から敵地偵察を任ぜられた。
だが音も光も気配も感じられず、戦時下の実感を持てないまま。
それでも戦争は着実に進んでいた…。
第17回小説すばる新人賞受賞作。


日本は戦後60年
戦争を体験として語ることのできる人はほとんどいなくなり、大抵の人生にとって、戦争というものは情報でしか知りえないものとなっています。
戦争に参加し、日々「情報として」戦争の痕跡を得がらも、まるで実感を得ることができずに、戦争を否定も肯定もできないことに対して苛立ちを覚える主人公の心理は、そのような現代の日本人の、戦争というものを語るときに感じる、どこか踏み込めないような感覚、体験していないことへの後ろめたさのようなものが表現されています。


「戦争」というものは、通常の日本人の感覚からすれば、「日常」とは完全に隔てられた「非日常」であると感じるでしょう。
物語のように確実な終わりがあり、戻ってくる「日常」を思い浮かべます。
しかし、戦争中にも当然人は生きているのであり、その中で生きている人間にとって、その一日一日は確実に「日常」なのです。


地球の裏側の情報も一瞬にして世界を駆け巡る現在。
この小説で描かれる、公共事業の一つとしての戦争は、システムとして、自らを維持するために戦争を起こし続ける超軍事国家を容易に思い起こさせ、主人公の置かれた状況は、現在の日本人が、戦争と無関係でいることはできない、ということを痛切に感じさせられます。


何も考えずに、戦争は悪いこと、と無思考で唱えていられる単純な時代ではなくなり、かと言って、国を守るためなら戦争もしかたがない、という人としての進歩を諦め、思考停止に陥った確実な退化の道を歩む思い切りもない。
日本人としてのこれからの進むべき道はどこにあるのか。
そんな思考を喚起し、一気に読ませる勢いのある作品でした。