烙印とか、別にいいんだけれども



うちの会社では、毎週月曜日に行う昼礼の中で、毎回社員が順番で3〜5分程度のスピーチをする、という慣例があります。
今日はぼくの番でした。


この日曜は、京都嵐山のオルゴール博物館に行ってまいりまして、その美しい音色や、精緻なオートマタ(自動人形)の動きを楽しみました。
オルゴールというのは、その音色とハーモニーの美しさだけでなく、間々ある少し調律のずれた感じが不思議な感覚が呼び起こされて好きなのです。


オルゴールは、18世紀、時計職人アントワーヌ・ファブールの手によって発明・制作されたそうです。
時を同じくして開花した文化に、オートマタ(自動人形)がありました。
スイスのジャケ・ドローのオートマタは、文字や絵を描いたり、ピアノを自らの指で弾くことができたそうです。
19世紀に入り、その二つの革命的な技術は融合し、オルゴールを駆動するゼンマイを利用して、オートマタのからくりの機械部分を動かすという作品が多く生み出されました。
一つの作品に対して、彫刻、絵画、音楽、服飾、機械工学など、様々な分野の職人たちが力を注ぎ、この時代の文化の結晶とも言える総合芸術が創り出されていきました。


そのような中で生まれ出てきた作品は、当時のファッションを伺い知ることのできる価値のある資料ともなります。


1851年、アメリカのジャーナリストで女性解放運動家のアメリア・ブルマーは、窮屈なコルセットに包まれて暮らす女性たちが、もっと活動的に生きることができるようにとブルマー・コスチューム(スカートの下にトルコのハレムパンツを履いたような格好)を考案し、大々的に着用キャンペーンを行いました。
ズボンの裾から足首がのぞくことすら大変な不道徳だと考えられていた当時、なかなか受け入れられませんでしたが、女性解放運動運動が高まりを見せた19世紀後半、自転車がブームになり、合理服協会がディヴァイデット・スカート(カボチャみたいな形のスカートみたいなズボン)を発表すると、サイクリング用の衣装として普及していったそうです。


それが日本に入ってきたのは明治後期、当時は袴にゴムを通した物だったものが、改良され、丈が膝まで短くなりウエストと裾にゴムが入ったいわゆる「ちょうちんブルマー」となりました。


そして、1964年に東京オリンピックが開催された際に、アメリカのバレーボールチームが伸縮性のある素材で体に密着する、ショーツ型のブルマーを用いていたことに刺激され、日本でもこの形が採用されたのをきっかけに、体操着としてのブルマーが全国に広まって行ったそうです。


というようなことをスピーチしようかとも考えたのですが、やめました。
ブルマーマニアの変態の烙印を押されること山の如しだからです。


あと風邪がなおりません。